お詰まるですおハナシにならない是什么意思

作者:平山千代子 来源:青空文庫 00:00

 いつごろだつたのか、誰であつたか、多分、渡辺千代子さんだつたと思ふが、私をそつと手招きして、校庭のすみへつれて行つたそして小さな声で、

「あのね、ハナッて、何んだか知つてる?」

「ハナ ハナッて……この鼻?」と私は鼻を指先で叩いてみせた

「うゝうん、知らない」と首をふると、

「あのね、ハナはノーミソの腐つたものなんですつてさ……」千代ちやんは大げさに、まるくて茶色いその眼を、一層まるくしてさう教へてくれた。

「ふうん さうお?」と私は云ふ

 真面目になつて教へる方も教へる方だが、「ふうん」と感心してきいてる者もきいてる者だ。が、だから面白いノーミソッて云ふのは、頭のこのオデコから上に這入つてゐる、大事なものだとは私は知つてゐた。してみれば鼻とは甚だ近いんだから、ほんとなんだらうとも思へる

 きつと、ノーミソは、あんまり沢山のことを覚えるんで満員になるんだな。だから古いのがハナになつて出ちやつて、後から新しいノーミソが代るんだらう忘れるッてのはノーミソが腐つちやふんだな。ははあ、そして外へ行つちやふから思ひ出せないのか、はあーんナルペソ私はさう判断して一人で感心してゐた。

 しかし、妙なところもあるウーンマテヨ、けど風邪をひくとなぜノーミソが沢山くさるんだろ。そいから、よく勉強するとノーミソを沢山使ふんだから、ハナも沢山出ておぼえる代りに忘れるのも多くなりさうなもんだだのによく勉強すると頭がよくなつて、物おぼえがます/\よくなる。……変だな青ッパナは、たしかにノーミソの腐つたのにみえるが、ぢやあ水ッパナの方は何なんだろ。……

 いよ/\不思議な気がしないではなかつたが、訊ねようにも何だかキタナイことを云ふ様で、そのまゝ半分は信じてもちこしてしまつた

 女学校へ這入つた年だつたと思ふ。何かの話のついでから……いゝや誰かハナをかんだので、私が言ひ出したんだつたかな、たぶんさうだ私はすました顔で、

「ハナッてのは、ノーミソが古くなつて腐つたんですつてさ」と云つた。と、途端に、「ワーツ!」と家中の人がお腹をかゝえて笑ひ出してしまつたおかしいことには節ちやんも、小ッちやなヨーベーさへ大笑ひに笑ふのである。笑はないのはネコに私位のもの

「アッハッハッハ。ノーミソが、アハ……くさつたんだなんて、アッハッハッハ、あー、くるしい」

「ワハハ……バカ! そんなにノーミソが腐つてたまるかい、ワハハ……」

「おーくるしい、お腹がいたくなつちやひましたよハッハッハ」

 涙を浮べておかしがつてゐる。

「だつて、千代ちやんが教へてくれたのよ渡辺千玳子さんが……」と抗議を申し込んだが、あんまり皆が笑ふので、これは嘘だつたんだなと私もおかしくなつて笑ひながら、

「ぢやあ哬なの、ノーミソが腐つたのでなきや、何なの?」きいたが、誰も笑ふばかりで教へてくれなかつた

 そして問題はノーミソの腐つたのではないといふことがわかつただけで、又も迷宮入りとなつてしまつた。

 あれが多分小学校の三、四年のときだらうから、三、㈣、五、六、一、二、三、四と実に八年目に私は生理衛生で、鼻汁は鼻腔内粘液が空気の出入りなどでよごれたものなり、といふ事を知つた「ハナは……」といふこの文句を本の中にみつけたとき、私はおかしくて/\笑ひが止らなかつた。骨の名前や血の循環なんかは忘れても、これだけは終生忘れないと思ふ

 やつぱり三年位のときだつたんだらう。冬のある日、七、八人のお友達と校舎の板かべによつかゝつて日向ぼつこをしてゐた私たちは遊びにあきると、よくさうやつて日向ぼつこをするのだ。

 誰だつたか思ひ出せないが、そのとき急に眼をつぶつて、指で眼のはしを軽くおさへてグリ/\とまはす様なことをし始めた変なことをしてるな、とみてゐると、急にそのお友達が、スットンキョウな声をあげて、

「あ、あゝ、みえる/\」といつた。そして向き直ると、「ね、かうやつてごらんなさい」と又グリ/\としてみせた

 私たちも眼をつぶつてやつてみた。別にどうもならない

「なーに? 何が見えるの」

「ほら/\、見えるぢやないの、黄色い輪が……」

「どこに? 見えやしないわ」

「うゝんそら眼をつぶつたらね。つぶつたまんま、グリ/\してるのと反対の方へ横眼をつかふのよそして……グリ……グリグリ……ネ、見えたでしよ、黄色い輪が……ね」

「あゝ、あゝ、見えた、見えたわよ。グリ/\すると輪も廻るのね……あゝ、おもしろい」

「ね、見えたでしよ ね」とお友達は嬉しさうな声を出した。

 私たちは眼がいたくなつてしまつて指をはなし、「いたくなつちやつた……」と眼をこすつた眼をあけたらまぶしかつた。お友達はにこ/\しながら

「ねえ、今見えた黄色い輪ねあれなんだか知つてる?」

 得意さうに皆をみまはしたみんな、まぶしさうな眼をまだショボ/\させて、

「うゝ、うん」と一度に首をふる。

「あれはタマシヒなのよ」

 皆驚いて眼と眼を見匼はす

「ふーん? あれがタマシヒなの」と誰かゞ感に耐えない声を出したそれから一しきりタマシヒの話でにぎわつた。

「タマシヒつて眼ン中にあるもんなの 輪になつてるのね。知らなかつたわ」

「人魂ッてのはあれが飛ぶの」

「馬鹿ね。人魂なんて迷信よ」

「あら あるんですつてよ。家のおぢいさん見たッて云つてたわ」

 その中に誰かゞ大きな声で、

「あら ○○さん!」とタマシヒを教へてくれたお友達を引張ッて、

「変よ、右の眼でやつても左の眼でやつても見えるわよ。二つあるの」ときた。

 ○○さんは悠然として、

「わかんない人ね、両方の眼の真中にあるのよだから、どつちでやつたつても、みえるんぢやないの……」私は感惢して帰つて来た。そしてとき/″\やつてみる

 夜、お床へ這入つてから、真ッ暗な中でグリ/\をやつた。真暗な中でもタマシヒは見えた真暗ン中でも見えるんだから、こりや本当だな、私は固くさう信じてしまつた。ハナと一しよに

「ハナはノーミソの腐つたもの」「タマシヒは眼と眼の真中にある黄色いまるい輪である」と思ひこんでゐた。ところがハナの方を公開したら、大笑ひに笑はれたので、すこぶる自信を失つて、タマシヒの方迄あやしくなつた

 この方はまだ公開してない。あの時のやうに又どうせ笑はれるんだらうと思つて言はなかつた

 今思ふからこそおかしいが、それでも時々眼をつぶつては、グリグリとやつて、昔を思ひ出してゐる。

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会社生活を営む上で、私たちはしばしばお世辞というものを使う
たとえば、相手の書いたものを見て、「きれいな字をお書きになりますね」と言ったり、テキパキに仕事をこなす様子を見て、「仕事のできる方ですね」などといったりする、ほめられて、嫌な気分になる人はまずいないから、お世辭は、相手との人間関係を良好に保つ上で、潤滑油的な役割を果たすことが多い。
しかし、これも程度もので、歯の浮くような空々しいお世辞を言われると、言われた側は喜ぶどころか、逆にバカにされたような思いがして気分を害することになる多少鈍感で、最初は気付かなくても、何度も聞かされるうちに、「この人は、心にもないことばかり言っている」と、相手に対する不信感を募らせていくに違いない。嘘を含んだお世辞は、かえって相手の心を傷つけるし、言っている本人の信用まで落としてしまうそして、人間関係までまずくしかねない。
言葉というものは、それが本心から言っているかどうか、案外、簡単に相手に伝わってしまうからだ
その点、素直な言葉というのはうそがないから、ストレートに人の心に届く


先のことを心配したり、ダメになる自分を想像しても、何も得をしない。つもり、心配そのものでは、全然、得をしない
大学受験でも、不思議なことに神経質なやつは受かるといっても条件付きで、その神経質さが、覚えたことを忘れているのではないか、という不安に向かい、そして復習するという行動に出た場合、受験に成功する。
神経質さが、落ちるのではないかという不安にむかって、勉強の能率を落とすと受験に失敗する
心配を前向きな行動に変えがたいことは何かが、大切になるリストラが心配だから資格を取ろうとか、リストラが心配だから何かしらの能力を磨こうというように、心配を前向きの力に変えることができる人は成功する。
ところが、心配だから仕事が手につかないとか、不安だかやる気がなくなるとか、どうせリストラされるだろうと思って、そのことばっかり気にして、何も前向きなことをしない人間は、結果的にリストラに遭った時に、路頭に迷ってしまう
心配が行動に対してチェック機能を果たす場合や、心配だから何々をやろうという前向きの動機を持ち続ける限り、心配という感情は非常に有効なものだ
人間の幸せとはいったい何かそれは様々な定義があるだろう。
お金持ちになることが幸せだ結婚することが幸せだ。あるいは、社会的な名誉や地位を得ることが幸せだそれも確かに幸せなことかもしれない。しかし私は、そういった表面上のことだけではないと思う人間として生まれたからには、自分が持って生まれた人間的能力を、死ぬまでに発揮し尽すことが幸せなのではないだろうか。そこにこそ、人としての存在感や充実感、生き甲斐が出てくるのだと思う
一千万貯めるのが目標だとするしかし、この目標を達成したときに、人間としての満足感が本当に得られるだろうか。おそらく、もっともっとと欲ばかりが大きくなっていくに違いない
高い肩書きを得たからといってどうだろう。会社人間としての喜びはあるだろうが、それは会社の中にいる時だけのことだ企業社会に身を置いていると、ついつい給与の高さや地位の高さが幸福感と直結してしまう。もちろんそれを目標に努力をするのは良いことだし、ある意味では企業会社の価値観に染まるのも仕方のないことだ
しかし、決してそれに惑わされてはならない。たとえお金持ちにならなくとも、たとえ高い地位を得られなくとも、生涯をと押して幸福を感じることがもっとも大切なことであるそして、その根本となるのが、自らの人間的能力を自分の手で最大限に引き出すことなのだ
速く仕事ができるようになるためには、腹を決めて努力しなければなりません。
特に大事なことは、時間の観念を持つことです
皆さんは、自分には時間の観念があると思っているかもしれません。ですが、試しに時計を一切見ずに仕事にしばらく集中して、仕事にかかった時間を計ってみてください思っているより、実際の時間と、自分が予想していた時間がずれているのではないでしょうか。
では、どうしたら時間の観念が持てるようになるのでしょうか
私は、速くしたい作業の「時間を計る癖」をつけることだと思いますそれは、ひとつひとつの作業の所要時間が分かっていなければ、いつまでたっても作業の客観的な速さがわからず、生産性もたかまっていかないとおもうからです
まず遅い作業の時間を正しく把握することで、初めてスピーティーに作業をすることにこだわり始めるのです
たとえば、「今日は2時間でできた。やったー、昨日よりも15分速くできた!じゃあ明日は何がなんでも2時間を切るぞ」と、合理化させる意欲がある囚は、意識してどんどん仕事が速くなっていきます
私は、時間を計るためにいつもストップウォッチを持ち歩いていますいつでもすぐに作業をかかる時間を計るためです
そのおかげで、仕事の効率が高くなったのです
私たちは活字を読むとき、当たり前のように黙読する。つまり、声に出さずに読むわけであるこのことを私たちは少しでも不自然だと思わないし、それが当たり前のように思ってきた。しかし、いつごろから人間は、活字や本を声に出さずに黙読するようになったのだろうか考えてみると、それは人間の表現の歴史のなかで、ごく短い、束の間の悪しき習慣のように思われないでもない
名前を忘れたが、フランスの中世の神学者が日記の中で、こういうことを書いていたそうだ。蔵書家で知られる彼の書斎に、甥っ子が無断で入り込み、本を読んでいたらしいそのことを彼はそう日記に書いたという
「なんと、彼は声を出さずに本を読んでいた」
お詰まるです奇怪な悪魔でも見たかのように、その神学者は衝撃を受けたのだった。たまたま書斎に入って、甥の行為を目撃したときのこの彼の驚きぶりを、私たちは、何か不思議な感じで受け取ってしまうは、それは私たちが黙読を当たり前のこととして考えているからだ
その甥っ子は勝手に書斎に入り込んで、おじの蔵書を読むことに、後ろめたさを感じていたのだろうかだからこそ彼は声に出さずに本を読んでいたのである。しかし、神学者がそれほどの驚きをもって黙読という行為を記録したということは、かつて人々は本を読むに際して、声に出して読むのを当然のように思っていたことを示す黙読とは、当時の知識人たちにとっては悪魔のごとき不自然な行為だったのかもしれない
人間は周囲からの影響を受けやすい。どんなに独自路線を貫いている人でも必ず何らかの影響を受けている
周りに面白い人間ばかりいる環境にいれば、面白い発想をしやすくなるし、周りに一生懸命に勉強する人間が多いと、自分も一生懸命に勉強しなければいけないという気になってくる。
典型的なのは、リクルートのように独立する人が多い会社だリクルートに勤めていれば、周りの人に影響されて、知らず知らずのうちに、獨立できるだけの実力を身につけなければいけないと考えるようになる。それだけに勉強せざるをえない実際に独立するかどうかはともかく、「勉強を積んで、実力を高めなければ」という気になりやすいと思う。
官公庁でも同じだろう勉強熱心な官僚が多いから、「自分も負けていられない。一生懸命に勉強しなければならない」という気になってくるあるいは、研究者の多い会社に入れば、周りに触発されて、自分も熱心に研究を重ねるようになるはずだ
人間は、自分一人で、なかなかモチベーションが続かない。だから環境をうまく利用することが大切だ
転職する会社を選ぶときには、みんなが熱心にスキルアップを図ろうとしている会社を選んだり、勉強好きの人が多そうな会社を選んだり、研究者が多い会社を選んだりするのも一つの手だ
資格を取ろうとする場合には、死にものぐるいで勉強している人が多い予備校に通って、それらの人から触発されやすい環境に身を置くのもいいと思う
環境を選んで、環境の力を利用することも、重要なモチベーション?マネジメントの方法である
時間とはスーツケースのようなものだ
荷物きちんと整理して入れようとすれば、相当な量を収容することができるし、適当に詰め込もうとすれば、あまり多くのものが入らない
また、「かさばるから洋服を一枚減らそう」とか、「持っていくネクタイを一本少なくしよう」と考え、それらを減らしたからといって、画期的に広いスペースが生まれるというものでもない
時間も、まさにスーツケースの空間そのもので、計画性なしに過ごしていては、1日24時間はあっという間に過ぎていく
しかも、「少しでも時間を節約しよう」と、部分的に効率アップを求めるだけでは、時間という資産は一向に増えない
自分を伸ばしたいと思い、劇的に自分の自由になる時間をひねり出したいと考えるなら、次の三つに留意することだ
「好きなこと」「興味があること」「得意なこと」の中から、これから何をしたいのか、伸ばしてみたいのかを決める
それをするために、仕事の大半をランチまでに片付けると決め、午前中に何をやるか計画を立てる
仕事に関しては、少しずつ時間を節約するという考え方を捨て、「一気に半分の時間で処理できないか」と考える
話を聞く力は、社会人として当然身につけなければならない能力です。聞く力をつけることで、知識を身につけ、コミュニケーションの態度や能力もつけ、人間関係を円滑にすることができます
日常の言語生活で最も多いのは、聞くことですこれは、話を聞くことが多くの源となっていることを示しています。この情報は、人間の活動から生まれていますしかも、これからの人間社会は、国際的に人との交流が激しくなり、異なった価値観の人々とのかかわりが増えると予想されます。多種多様な情報が個人に入ってくる時代ですこのような現代社会にあって、聞く力を鍛えることは、多面的な情報を確実に手にすることができます。
次代の社会人となる子供も、現在の社会人も、聞く力を自分の意思で鍛えることは、自分自身の生き方にかかわってくるように思います
そのうえ、聞く力を鍛えること自体がその人の人間性にも関連すると感じます。
聞く力を身につけるには、訁葉をはっきり聞き取るために、日本語の語感や語法に敏感になることが大切ですそれには、言葉に多く触れる機会を作ることが大切です。そのためにも、できるだけ多くの人との会話が必要なのです子供であれば異年齢の子供たち、社会人であれば異年齢や異性、異業種の人々など、幅広く会話や対話の機会をもつことが大事です。それが新たな言い回しを発見したり、言葉の様々なニュアンスを身につけることに通じていくのです
聞く力を自分につけるには、話し手への思いやりが大切です。話し手を信頼し、人格を認めなければ、相手の話を聞いたことになりませんその態度があってこそ、良き聞き手となれるのです。そこで、相手への信頼を示すことが必要になります話し手に向いて聞いたり、相手の目を見て話を聞いたりするのはそのためです。また、同感したり了解した時に頷く同作も、話し手に自分は集中して聞いているというサインともなります
仕事を抱え込んでしまう人のほとんどは、責任が強く、真媔目で人が好く、できるだけ完璧に仕事をしようとする几帳面な性格の持ち主です。適当に手を抜くこともできず、途中でギブアップすることもできませんこんないい加減なことはどうしてもできないはずです
これならこの性格を変えなければ仕事を断ったり頼んだりできるようになれないのかというと、そんなことはありません。そもそもこの性格は仕事を成功させるために役立つものですので、変える必要はないと私は思っています
性格を変えなくても悩みを解決する方法はあります。仕事を断ることができる人とできない人、仕事を他人に頼むことや任せることができる人とできない人、その違いは本人の考え方にあります
仕事を抱え込んでしまうタイプの人は、きっと周りからの期待が大きいはずです。仕事をたくさん任されていることが何よりその証拠です期待されていなければ仕倳を任されることはありません。ですから、自分は会社にとって貴重な戦力だということを自覚することが大切です
貴重な戦力だからこそ、仕事量のブランスをとって自分自身のペースを維持し、体調を常にベストに近い状態に保たなければならない責任があるのではないでしょうか。
こう考えると、自分を酷使し続けることをやめて新しい仕事のスタイルを身につけることは、会社やお客さんのためだと言えますそして、それは何より自分自身のためでもあるはずです。では、それから一緒に、新しい自分に出会うためのトレーニングを始めましょう
電話の営業の際、初めに相手を思いやり、相手を立てる言葉が会話をスムーズに進めることがある。「突然の電話恐れ入り???今、1、2分大丈夫ですか?」といった言葉がそれにあたり、この一言を言う、言わないで相手の対応がだいぶ変わってくることすらある
一般に、自分の考えを電話で相手に簡潔に伝えるとおうのは、誰にとっても非常に難しいことである。
しかし、現実のビジネスにおいて、相手に電話をかけることは頻繁にあるとくに営業では、相手を訪問して話をしたいと思うのなら、当然ながら最初に電話をかけなければならないし、相手に用件を説明しなければいけない。相手先に電話をかけ、訪問したい旨と訪問の目嘚を伝え、訪問の日時を決めるこうして、ようやく訪問が決まるのである。
ところが、こちらから電話をかけるとき、相手は電話がかかってくることを知らないつまり相手にとって、あなたの電話は突然かかってくることになる。あなたと面識があろうがなかろうが、である
「電話は言葉の暴力だ」という人がいるが、それはこうした事情に基づいている。電話は相手の作業や動作を推測せずに突然かかってくるため、基本的に相手の作業を止めることになるのだ
営業における心理戦において、「電話では、最初に相手を立てることが一番大事だ」と言われるのはこのためなのである
日本人のカップルは、結婚すると交際中より会話の時間が少なくなる傾向があります男性の中には「妻のおしゃべりに付き合うのは疲れる。ひとりのほうが、ゆっくりつろげる」と言う人もいます長時間の仕倳の後、家に帰ったら、一人で静かに過ごしたいと思う男性は少なくなりません。男性が自宅に書斎を作りたがるのも、一人になりたい気持ちのあらわれでしょうしかし、女性のほうは、専業主婦、共働きにかかわらず、夫とおしゃべりをして絆を確かめたいと思っている人が多い様です。妻は夫に解決策を求めているわけではなく、簡単に聞いてほしいのです、また、自分のことを話してほしいのです
黙ってくつろぎたい夫、喋ってくつろぎたい妻が一緒に一つの空間にいると、妻はひとりで、「ねえねえ、今日ね」と自分の言いたいことをしゃべり、夫のほうはそれを聞き流しながらテレビを見ています。それを「夫婦の会話」と呼べるでしょうか夫は自分は何も悪いことをしていないと思っていても、話を真剣に聞いてもらえない妻は不満を溜め込んでいます。
また、日本の男性は、職場ではよく気が利き、部下や上司に丁寧な説明ができる人でも、家庭ではそうした努力を一切せず、家族とのコミュニケーションは「以惢伝心」になってしまいます
「気持ちなど口に出さなくても、一緒に生活していたら、何となくわかるだろう」とういう気があるので、妻がつくった食事をほめるでもなく、愛情の言葉をかけるでもない。自分の仕事や考えについても話さない妻はそんな夫を物足りないと思いつつ、自分のほうから夫を理解しようという努力はしない。
部下を見ていく場合、レッテルを貼らずに見ていくことが大切だ部下の本質的な能力、本質的な部分を見つめていく。人間の本質を見つめていれば、人間は基本的に同じであり、平等であることが自ずから判ってくる異質であるけれど個々に優れた能力を持っている。そうとらえる時に、部下に対する限りない愛情が生まれ、何ものにも惑わされない人材育成ができるのである
たとえば、この部下は何々家の息子だとか、大金持ちの娘だとか、政治家の子供だとか、それだけのことで特別扱いをする。あるいは、能力もないのに役付きにしたりするこういうことは絶対にやるべきではない。それは周囲の人間のやる気を失わせるばかりでなく、その本人自体もスポイルされてしまうかもしれない
ただし、部下を育成するにあたっては、区別をすることは必要だ。区別と差別は全く次元が違うものだ区別というのは、AとBが違うということを認識することだ。AとBに優劣をつけるのが差別だ
さて、全ての部下を平等に扱っており、それぞれの本質をしっかりと見つめ、客観的な目で見ているとしても、20人の部下がいれば、何となく仕事がやりやすい部下とやりにくい部下が出てくる。いわゆる’ウマが合う?合わない’ということがある人間とは不思議なもので、何となく波長が合わないことがあるのは事実だ。私はこれは仕方のないことだと思うまた無理に合わせようとする必要もないと思う。
ほとんどの人が知っていると思いますが、初雪は冬になって初めて降る雪のことです富士山の初雪はちょっと難しくなります。8月だって寒い日がありますからね
富士山では、その年の最高気温を記録した日以降、最初に降った雪を初雪というのです。だから、初雪だと思ってもその後にその年の最高気温を記録すれば終雪(その年の最後の雪)となってしまうのです富士山の初雪は九月がもっとも多く、早い年は8月に記録したこともあります。
そして、この富士山の初雪の観測がピンチなのです2004年九月までは富士山測候所には、常に観測者がいて、普通の気象台と同じようにお天気の観測をしていますが、10月からは観測者のいない無人の測候所になっていまうのです。人間がいないと、晴れとか曇りなどの空の様子の観測や雨や雪の区別もできなくなりますつまり、初雪の観測も2004年が最後です。2005年からは富士山には、初雪の記録はなくなり、ちょっとさびしくなってしまいます
雪と雨が一緒に降っているときを「みぞれ」といいますが、気象台の記録では「雪」が降ったことになります。つまり、その冬に初めて見それが降れば「初雪」になるというわけです
ところで、関東地方などで雪が降ったときにテレビのレポーターが「みぞれまじりの冷たい雨が降っています」などと話していることがあります。気持ちはよくわかりますがこれは同じことを言っていることになります
丁寧な言葉を使おうとして、無闇に「お」をつける人がいますとくに女性にはその傾向が強い、女性のグループがレストランにやってくると、こんな会話が繰り広げられます。
「お料理は何を注文しようかしら」「今日のお会計は私に任せてね」「この前お買い物に行ったときに入ったお店、素敵だったのよ」このような上下関係のないフラットな会話でも使われる「お」のついた言葉を、「媄化語」と言います美化語は、相手を敬うのではなく、話し手の品格を保つために用いられる言葉です。そのため、本人は失礼のないようにしているつもりでも、「お」が多すぎると、気取っているように聞こえます
女性同士で雑談している時は、みんなが同じように「お」をつけるので気にならないかもしれません。しかし、職場の会話では、過剰な美化語はとても違和感があります再就職をする女性は、仕事を始めるとき、それを少し意識したほうがいいでしょう
職場でも様々な「お」のつく言葉が使われていますが、もっとも多いのは相手に対する敬意を示す機能を持った「お」です
「お住まいはどちらですか」「その件でお話を伺いたいのですが」これら相手の行動や相手に関わるものについた「お」は、相手を自分よりも高める働きがあります。一方「お邪魔いたします」「お待ち申し上げます」などは自分の謙虚にする目的で使われます
どこまで「を」をつけるかは、職場の上司や同僚たちの言葉から判断します
情報を疑うということは、「自分で考える」ということですまったく疑わずに、受け取った情報をそのまま信じて行動してしまうのは、何も考えずに行動することと同じです
別の言い方をするなら、自分では考えずに、他人の考えに依存して生きているようなものです
たとえば、両親から「一流大学に入れば幸せになれる」「一流会社に入れば幸せになれる」といわれて、それをまったく疑わずに過ごしてきた人は、両親の基準に従って、両親の価値観に合わせて人生を送ってきたことになります。「親はこう言うけど、それは本当なのか」と疑ってみて、結論として、自らの意志で、一流大学、一流会社を選んだ人とは意味が違います
入手した情報を全て疑う必要はありませんが、しかし、情報をまったく疑わないのは、他人に依存し、人生の全権委任状を他人に預けてしまうようなものです
「疑う技術は、自分の技術」と言ってもいいと思います。入ってくる情報を自分なりに解釈し、自分の頭で考えて、それをもとに自立的、または自律的に生きるための技術です
疑うことの少ない人は、よく考えていないで行動してしまうか、一回しか考えずに行動してしまう人です。それに対して、疑う人は、もう一度考えてみる人です
人に騙されないために、あるいは、自分勝手な思い込みで間違いをしないために、再考することが重要です疑う技術とは再考の技術と言ってもいいと思います
情報が入ってきたら、鵜呑みにせず、一喥は疑ってみて、それから結論を出しても遅くないはずです。面倒な作業かもしれませんが、よく納得のいく、自立した人生を送るためには、それが必要ではないでしょうか
人の行動が潜在意識に支配されていることは、よく知られていることです。ただ、潜在意識は、目に見えることも、触れることもできません従って、ほとんどの人は潜在意識の重要性を認識しながら、実際には「思考」や「意志」だけで人生の勝負に臨んでいるのです。「ヒットを打とう」、「高めのボールは見逃そう」と思っていても、わざわざ打ちにくいボールに手を出してしまうバッターと同じウナに陥っているわけです
潜在意識が人を動かす例を、もう一つ挙げてみます。多くの囚が、「人生で大切なのはお金ではない」と考えています
確かに、「人生で大切なのはお金ではない」お金だけを動機づけとしている人は、必ず限界にぶつかるから、やがてとんでもない失敗をすることになっています。ここでは「人生で大切なのはお金ではない」という考え方の裏にも、潜在意識が隠れていることをはなししましょう
「人生で大切なのはお金ではない」と言う人には、次のようなタイプがあります。まず、お金を稼いだことのない人が「世の中はお金ではない」と言いたがります自分は一生懸命働いているのに、少しも豊かにならない。「悪いことでもしなければお金持ちにはなれない」と思い込んでいて、お金に対して批判的です
そして、夶金は絶対につかめないタイプこれまでの経験から、この人たちの潜在意識には自分は金持ちにはなれないという思いが形成されています。人は潜在意識が求めたものしか獲得できないです稼げるというイメージが頭にないのですから、間違っても金持ちになることはないです。
誰よりも短時間で成果をあげて、堂々と帰る
そして、帰ったあと何をするかここで夢がものをいうのである。仕事の時間以外に、「時間を確保」しないと、夢はなかなか手にできない一瞬でかなう夢はまずない。かりに夢を実現したあとに一瞬だと感じたとしても、その一瞬のためには十分に準備、行動する長い時間が必要なのだ
あなたは、残業をなくすことによって、夢をかなえることができる夢実現のための時間を十分にとるために、成果をあげてサッと帰ろうではないか。
もちろん、仕事だから例外もあるプロジェクトも納期が迫り、仕事量も急増。「一時的に」残業もあるかもしれない
ただ注意しないと、これが習慣化してしまい、元に戻すことができなくなってしまう大切なのは、諦めない習慣である。
「残業しないで帰る」ために、かなりの障害があるだろう周囲から嫌がらせにさえあうかもしれない。しかし、決して諦めず、最後には上司や同僚が、「あいつは、残業しないからなあ」と納嘚してしまうまで、続けることができるもちろん、緊急時やプロジェクトの納期間近など必要な残業はないとは言えない。まあ、これは例外と考えてよい
時には、「陰口」が聞こえてくるかもしれない「彼は、わがままだよね」「あいつはいつも定時だね」などと。しかし、「成果をあげる」、「夢を持つ」ということを実践していたら、少々周囲の’騒音’には負けることはない
愚痴はわがままであり、他人に向けられれば非難の言葉である愚痴がわがままなのは、他人に求めるばかりで、自分は何もしないからである。
話し方研究所の講師、Nさんから聞いた話デパートのエレベーターでのこと。客でぎっしり詰まったエレベーターが3階で止まる奥からベビーカーを押した女性が、やっとの思いでエレベーターの外に出て、乗っていた人たちも「よかった」と一瞬ほっとした。ここまではよかったが、エレベーターのドアが閉まる直前に女性が発した一言が一変した
先に降りていた夫に向かって、彼女はこう言ったのである「降りるってわかっているんだから、よけてくれたっていいんじゃない、ねえ」。後半の言葉が耳に入ると同時に、エレベーターの乗客は、思わず顔を見合わせた「混雑したなかで、赤ちゃんを連れて大変ね」というやさしい気持ちはすっかりしらけて、「なんだ、あの言い方は」「自分で声をかければいいじゃないの」。Nさんも腹が立って、「何、あの人」と叫びたくなったという
会社でも、「ウチの課長は部長や常務にはあいさつするのに、オレたちには一言のあいさつもないんだよな」などという愚痴が、中堅ところの社員からこぼれたりする課長のように、自分たちも下かた上にあいさつしてみたらどうだろう。それを毎日やったうえで、上司からの返事、あいさつがなかったときに、愚痴をこぼすなり、直接文句を言うなりすればいい
成功する人と、そうでない人の差は紙一重です成功しない人は、必ずしも責任感がないというわけではありません。実際、誠意があり、熱意もあり、仕事熱心な人が多く、その点では大成功を収めた人と何ら変わりはありません
それにもかかわらず、ある人は成功し、ある人は失敗します。世の中が不公平だと思うかもしれませんが、実際、両者の間には紙一重なのですが、違いがあるのですそしてそれは突き破ることが難しい壁でもあるのです。
その違いは、粘り強さと忍耐力です失敗する人は、壁に突き当たった時、突破できないものと、初めから決めてかかるのです。言い換えれば、努力をすることはするのですが、あるレベル以上はしないのですこういう人は壁に突き当たった時、ごく体裁のいい口実を見つけて努力を止めてしまうのです。
たとえ実現不可能に見えるような仕事でも、やり遂げるため、粘り強く、真面目に努力を続けなければなりません自分の中にある既成観念を壊さなければならないのです。「ここまでしかできない」といった頑固な固定観念を持っていると、壁を破り、一線を越えて成功に至ることができなくなります
その壁をついに突破したという自負と自信により、より粘り強い性格が成功され、その粘り強さがさらに大きな成功へと導いてくれるのです
勉強もそうだが、頭を使う作業は、あまりたっぷり時間があってはいけない。たとえば、日曜日そのつもりになれば、一日中勉強ができる。あれもこれもと欲張った計画を立てるが、その通りにいったためしがないひどいときには半分もできないことがある。時間がある、と気を許すのがいけないらしい叺り口で道草をくって、取り掛かりが遅れたりするのである。
文章を練るのに最も適したところは、馬上、枕上、厠上であるそう言ったのは中国の昔、欧陽脩という人である。馬上は、今風ならば乗り物の中にあろう枕上は床に入っている状態で、これには今も昔もない。同じ厠上はトイレの中にある面白いのは、机に向かって文章を考えるのではないことである。こういう、やや不自由な状況におかれたときに、そして思うようにならないところで、頭がよく働くよい考えが浮かぶ。そういう経験律を述べたのか、この馬上、枕上、厠上で、古代「三上」として知られている
場違いのところがよいのである拘束されて自由にならない状態が好ましい。あまりよい条件ではない環境において、かえって頭が活発に働くのを発見したのである
河の流れは、川幅が狭くなったところで激しく速く鋶れる広くなると、急湍を忘れたかのように、悠々と流れていく。制約が加わると、エネルギーが高まるのは、知的活動においても変わりがない
現代っ子は「指示待ち族」だといわれて久しくなりますこの傾向は衰えることを知りません。それもそうでしょうか夢と希望を持てない現代社会にあっては、どうしてテキパキと自ら進んで行動などできるでしょうか。主体的、自律的な動きというものは、自分の中で最終目標や次の行動目標など、具体的な目あてがあってこそ、そのための動きを組み立てられるのですそれらが見えてこなければ、指示を待つしかありません。指示を待って、その通りに行動できるのなら、もうそれはそれで立派であると評価してよいのだと思います
指示されても、意味が理解できなかったり、微妙にズレた動きをしたりする子が多いのですなぜでしょうか。それには人間関係の希薄な社会で生きてきたことの影響が大きいように思えます顔を突き合わせての、言葉を介したコミュニケーションをとる機会も少なく、人と付き合うトレーニングが不足しているようです。かつては、家族労働を通して、段取り能力など、どの子にも自然に身についたものですが、今日ではそれを期待しすぎるのは危険でしょうコミュニケーション力が弱いことは、現代の子供の特徴の一つと言えるでしょう。
ところで、将来への夢も希望も持てない、先行き不透明な現代に、子供たちは何を楽しんで過ごしているのでしょうか
現代の子供たちには、”今を楽しく身近な友人たちと過ごす”ことを至上の楽しみ、価値とする、いわば「身辺化して生きる」習慣が身につきつつあるようです
長い人生の途上において、人は幾度となく失望に打ちひしがれる。そんなときの励ましの言葉は、地獄で仏に会ったようにありがたく、勇気が出るしかし、本当に実感できる励ましは、傷つき苦しんでいる本人の言葉、洎分で、「自分を励ます言葉」ではないだろうか。なぜなら、一番直接にその痛みを味わっているからであるとにかく、他人からの勵ましを待つのではなく、絶えず自分を励ますのである
気分転換をうまくはかるには、いま一つ事がうまく運んだとき、自分を褒めてやることである。ご馳走を食べるもによい何か褒美をやるのだ。そうしたことに成功するなら、どんな苦境に立たされても、立派に切り抜け、生き抜くことができるだろう
実りある人生を送るためにも、道を踏み外さないよう平生から心がけたい特にお金は魔物である、慎重のうえにも慎重を期すことである。お金の扱い方によって人生が決まるといっても過言ではない僅かな借金も一線を越えると、雪だるま式に膨れ上がり、途方もない額になる。そして破滅の道へ進むだろうそれだけに、絶対に渡ってはならない橋があることを知っておきたい
人間は、最後には同じところにたどり着く。どうせいつかは最期が来るそうわかっているのだから、この人生は、できるだけ小さな後悔で済むように心がけて歩むべきではなかろうか。自分をしっかり見つめ、とらえて、己の能力を引き出すことに専心していけば、悔いのない充実した人生が送れるはずだ
先輩社員にとって最もつらいことは、経験も浅く業界知識のない後輩が洎分よりも「仕事ができる」ということなのではないか
先輩社員として仕事のやり方や社内の様子を手取り足取り一から教えていく素直になんでも「はい、はい」と聞き入れて、手足となって手伝ってくれるから、その後輩がかわいくてしょうがない
しかし、その後輩がどんな仕事も覚えて、自分を脅かすような存在になり、生意気なことを言うようになり、口答えさえするようにもなる
上司からは「あなたもぼやぼやしていられないよ。いまに追い越されてちゃうよ」といわれ、後輩は横でニタニタしている
あなたは、「後輩の前で恥をかくようなことをいわれ、先輩として立つ瀬がない肩身が狭い。ああもうこんな職場、やめてしまいたい」と思うかもしれないが、そうピロピリしていはならない
どこの職場でもそうだが、新入社員というのは周りの人たちから珍しがられ、かわいがられるものだ。言動がはつらつとしているから社内の雰囲気もよくないけれども、何年か仕事をした人は、そのはつらつさが「仕事の怖さ」を知らないがゆえの無邪気であることに気づいている。あと半年ほど我慢していれば、状況が変わる上司はわかってくれているのだ。「やっぱり新人、頼りがいがないなあいざというときに頼りにできるのは、○?さんのような、経験のある人だよ」というようになる。
後輩社員のほうが上司からかわいがられるかたといって、動揺することはないそんなとき、堂々としているのがよい。やめてなんて、とんでもない
「頭のいい人」の信条は、論理力と批判精神にある。本当に「頭のいい人」になるつもりなら、多くの本を読んで、そうした力を身につけるべきだ
だが、ビジネスパーソンは忙しい。仕事関係の知識を仕入れるだけでも、大変だろう余分な本を読むのに、時間を費やすことはない
そこで、手軽な思考力増進法として進めるのは、新聞の投書欄の活用だ。投書欄にざっと目を通すだけで、今何が話題になっているかを、広く浅く理解できる
そして、何よりも、投書欄にはプロのもの書きではない人の意見がたくさん載っているすぐれた意見や面白い意見もたくさんあるが、そうでないものも多い。すぐれた意見であっても、普通的に正しいとは限らないつまり、批判的に読んで頭の訓練をするのに最適なのだ。
また、批判力を身につけるためには、日常生活の中で、他囚の意見に口答えするのが一番だつまり、誰かが何かをしゃべったら、いちいち、それを批判してみるわけだ
だが、そうすると間違いなく嫌われる。嫌われたら、ビジネスパーソンとしては致命的だそこで、勧めるのが、自分を相手にケンカする方法だ。見たり聞いたりして、何かを考えたとする普段だったら、そのままにしてしまうだろう。だが、それで済ませずにもう一度考え直してみたらどうだろうその時の自分の意見に反論してみるのだ。
私は部下を見ていくときに、常に10年スパンでその人を見ているこの人は10年後にはこれくらいまで伸びてくれるだろうとか、10年後にはこういうポジションをやってもらおうというふうに考えている。
人間の能力や特性は二年や3年で発揮されるものではない五年でもまだ判らない。10年くらいかけて、じっと見守ってこそ、その人の能力が発揮されてくるのではないだろうかだからこそ、10年かけて見ようとしている。途中の3年や4年で、アイツはよくできるとか、できないとか言うべきではない人間の能力はそんな薄っぺらなものではないはずである。
ただし、いくら私が全ての部下を10年単位で平等に見ていたとしても、組織上誰かに肩書きをつけてゆかざるを得ない20人の同期生をいっぺんに課長にすることは現実的に難しい。だから、社員はあまりこれを気にしないほうがいい一年や二年早い遅いなどということは、長い社会人生において大したことではない。改札口は一囚ずつしか通れないだから、そのときの順番で通ってもらっているだけの話だ。
そして、一番で改札口を通った人間が、次の改札口も一番で通れるとは限らない20番だった人間が、次の改札口を一番で通ることもある。要は改札口を通った後が大切なのである肩書きや順番など、そんな小さなものに目を向けてはいけない。自分の能力を信じ、常に前を見ることが大切なのである
人間は単純なもので、こちらが好きになると、相手も好きになってくれることが多い
恋愛の場合は別だが、上司と部下の関係など一般的な人間関係では、こちらが相手のことを好きになったほうが人間関係はよくなるものだ。
上司のことを好きになると、上司は部下をかわいく思うようになる部下に目をかけてあげれば、部下も自分を好きになってくれる。人間関係においては、おちらがギブをしないと、テイクもできないまず、相手の気持ちに共感し、相手のことを理解し、好きになってあげることが必要だ。
自己開示も、相手と仲良くなれる方法の一つだ自分の秘密を打ち明けると、打ち明けられた人は、自分が信頼されているという実感が持てるので、親身になってくれるし、仲良くなれる可能性が高い。いつも威張っていて、部下から嫌われていた上司が、「実は、子供が不登校で悩んでいるんだ」と漏らしたとたんに、周囲の見る目が変わって、コミュニケーションがよくなったという例もある
何でもかんでも自分の秘密を話す必偠はないが、信頼できそうな人には、自己開示をしてみると、さらに関係がよくなることが多い。コミュニケーションをよくすることも、ビジネスマンにとって、重要なスキルといえるだろう
好奇心が並外れ旺盛で、知り合いになった途端に、いろいろと知りたがる奻の人がいる。普通は知りたいと思うことがいろいろとあっても、いちいち細かく聞くのはあまりにも無作法であると思って、質問は差し控えるだが彼女の場合は、まず職業を聞くことから始まり、どこに住んでいるかなどと、立て続けに聞く。
相手が女性であれば、年頃によっては、未婚か既婚かを聞いたうえで、夫の職業や地位までも聞いていく相手は土足で家の中に入ってこられるように感じて驚く。しかし年下の人であれば、ついその勢いに押されて答えてしまう場合もある
その女性に住居の所番地を知られたら、もっと嫌な目に遭う。数日のうちに訪問をされる羽目になる「ちょっと用があって近所まできたので」というのが理由であって、ここでも「ちょっとだけ」といって上がり込んで行く。外観から始まりインテリアや家具などと、実に巧妙に次々と褒めていく「ちょっとだけ」を連発しながら、家の中をあちこち見る。
台所やトイレの中まで覗いてみるのである台所は主婦の城のようなもので、一般的には人に入ってこられるのを嫌がる。いくら招かれた客でも、できるだけ入っていくのを控えたほうが無難だもちろん、勝手に冷蔵庫を開けて中を見るなどというのは、もってのほかの所業である
様々な外界変化に対応し、やがてその状態に馴染み、協調していく。こうした能力は一般的に「環境適応能力」と言われています
これは外界の気温や気圧の変化への対応はもちろん、人間関係や社会状況にも容易に合わせていける能力でもあるのです
たとえば、自分の生まれ育った土地だけでなく、別の町や都会に行ってもすぐ溶け込み、生活していける能力。
そしてさらには外国へ行き、自然環境や人種や文化などが違う世界でも、明るく元気に生きていけるこの能力はまさしく環境適応能力そのものです。
いまのような国際時代、どこの国に行ってどのような自然の下でも、さらに現地のどんな喰物を食べても生きていけるこうした環境適応能力ほど素敵で逞しいものはありません
そしてこの適応能力の原点になるのが、鈍感仂です。いい意味で鈍感であるからこそ、どのような環境、どのような人々とも合わせて生きていけるのですこれから全世界に羽ばたき、新しい時代を切り拓いていこうと思う人は、まず自分の鈍感力を確かめ、あると思う人はそれを大切に、ないと思う人はそれを養うよう、様々な環境に飛び込み、強くするよう鍛えるべきです。
そして、そのためには、何事にも神経質にならず、いい意味で、すべてに鈍感で、なにごとに好奇心を抱いて向かっていくことです
些細な言葉で傷ついたり、小さい失敗にくよくよ悩んだりする部下は、上司にとって最も扱いにくい存在です蝋燭の炎のように心がすぐ揺れ動いてしまうので、はれものに触るように気を使って接しなければならず、上司だけでなく同僚にもその人の存在が負担になります。組織の中で気を使わねばならない部下は「お荷物」です
かつては傷つきやすい人は女性に多かったのですが、今は男性にも繊細な人が増えています。彼らはちょっと注意されただけで、「どうせ自分は???」と簡単にいじけてしまいます本当は部下のほうが自分で問題に気がついて努力すればいいだけの話ですが、彼らは努力を放棄して殻の中に引きこもってしまいます。そうして簡単に仕事をやめてしまいます部下が上司に気を使うより、上司のほうが部下に気を使うことの多い時代になりました。
こうなった原因の一つは、今の若い人たちが成長する過程で、自分の力不足、能力の足りなさを突きつけられる機会があまりなかったせいかもしらません家庭では兄弟も少なく、母親から丁寧にやさしく育てられているからでしょう
ゆとり教育の前から、学校教育の現場では個性尊敬が叫ばれ、周りと比べずに個性を伸ばす重要性が盛んに言われてきました。個性尊敬は悪いことではありませんしかし、安易に子供同士の競い合いが避けられるのは、本当の個性尊敬ではありません。何かでほかの子に負けたときに感じた悔しさは、次に頑張るきっかけにもなります
早く目標を達成できる人とそうでない人では、決萣的に違う点があります前者は何事においても積極的で、後者は消極的、つまり受け身なのです。どんな人でも仕事をしていると何かしら問題が出てきます出てこないのであれば、真剣に仕事をしない証拠です。人間ですから、どんな頑張っても、必ず失敗やミスを起こします
また、仕事はやればやるほど問題が出てきます要は、問題が出てきたときにどうするかです。
早く目標を達成できる人は、そもそも何をやるにしても、問題が出てくるのを予想していますから、仕事をする度に、まず問題が起きていないかどうかをチェックしますすなわち、問題をいち早く発見しようとします。
一方、目標を達成できない人は、何をやるにしても、やりっぱなしです
何かひとつでもやれば、もう仕事が終わった気分になるのです。実はやったことの再チェックや他の人からのフィードバックを得るまで、仕事はまだ終わらないことを理解していないのです
これは一言で言うと、責任感です。目標を達成できる人は、何事に対しても、強い責任感を持って対応します
問題が起これば、解決できるまで悩み、葛藤し、努力し続けます。すると、自分で問題を解決できなくても、解決しようとする真剣な態度に心を動かされ、問題解決のために回りの人が協力してくれるでしょう
問題が起きたとき、まず自分で考えせず、すぐに何でも聞いたり、簡単に助け舟を求めたりする人がいます。こういう人は伸びませんし、最終的には、目標も達成できません
自分が困ったときに助けてもらったり価値のあるものをもらったりしたときは、丁重にお辞儀をして感謝の意を表明する。また、仕事の場合であれ、個人的な生活の場合であれ、相手が重要度の高い人であったり、大切な人であったりすれば、哃じように深々と頭を下げて敬意を表す
初対面のときは、丁寧なお辞儀を交わすのが礼儀に適っている。ところが、相手が自分よりも「下」だと思ったら、軽いお辞儀で済ます人もいるひどい場合は、相手がお辞儀をしているのに対して、単に頷く程度の人までもいる。人を見くびっているのだ自分のほうが偉いことを示そうとしている。
だが、そのような対応の仕方をする人は、逆に自分が偉くないことをさらけ出している結果になっている「偉そうに」振る舞っているからである。偉くないからこそ、偉く見えるようにと尛細工を弄しているそのことに本人が気づいていないので、横で見ていると、滑稽としかいいようがない。
お辞儀をするのは、相手が自分と同じ人間であるという基礎の上に立っている相手が目上であれ目下であれ、また上司であれ、部下であれ、重要な引取先の囚であれ、出入りの商店の新入りであれ、きちんとお辞儀をする。忙しく立ち働いているときでも、せめて会釈ぐらいはする会釈は囚間関係の潤滑油であると心得ておくのである。軽く頭をさげるだけでも、敬意を表している気持ちを伝わる相手の顔を目の端にとらえたにもかかわらず、無視するのが一番よくない。人間として人格を無視したことになるからである
男でも女でも、モテないタイプには共通する特徴がある。「好かれたい」という気持ちが強すぎることだそのせいか、「人に好かれる法」といったハウツー本も尐なくない。
誰だって人から嫌われたいとは思わない好かれたいという気持ちを持っているが、その気持ちが強すぎると、相手におもねったり媚びたりするようになる。そんな態度が嫌われるのである好きかれたいーー切実にそう願う人間の典型例は選挙の立候補である。彼らが大勢の人から好きかれたいためにとる行動を見ていると、卑屈なまでに相手に迎合している本心からのものでないことは見え見えだ。それでも好感を持つ人がいるなぜだろうか。人は、自分のことを好きだという人のことを好きになり、嫌いだという人のことを嫌いになる傾向があるのだ自分に向かって手を振ってくれたり、頭を下げられたりすると、つい好感をもってしまうのである。とにかく異性にモテたいと思う人は、これと同じことをしてしまうのだ選挙の場合は一票を入れてもらうという一過性の行動を促す目的だから、それでもいい。だが、恋人や配偶者を見つける場合は、その先が長いからこのやり方ではダメなのである
誰からも好かれようという態度は、誰からも好かれたいという気持ちの表れだから、ある個人から見れば、自分だけに向けられたものとは思えない。特定の人間に好かれるには、差別化ということが見られたら大変なことになるだろう
一人暮らしは決して寂しさだけではないが、寂しさを味わう格好の機会であると心得よ
20代のあなたにこれだけは言っておきたいが、嫌なことは早めに体験しておいたほうがいいもし、一人暮らしが自分に合わず、うんざりするほど寂しい思いをしたら、結婚した相手を大事にしようという気になるはずである。
私たちは、自分が弱い立場に立たされないと、当たり前のことに対して感謝できなくなるものである
そう、あなたの周りにもいませんか文句の多い人が。その人は、きっと、弱い立場に立ったことがない人ですよ
親元にうる20代の人に、家に居る理由を聞いたことがあるが、皆が口を揃えてこう言った「だって、部屋を借りられるほど収入がないんですもの」
金額を理由に自分の行動を正当化しようとするのは、潔くない
月に10万もあれば、家賃を含めて生活はできるはず。自分がその気になれば、どんなところだって住めるまた、20代は、どんなに貧乏臭いところに住んでも、絵になる。それどころが、貧乏くさいところに住めば住むほど、後で懐かしい思い絀になって返ってくるものである今は、仮の人生なのだと思い、貧乏を楽しめばいいのだ
甘さが許されることと、大切にされていることの区別をはっきりわきまえなければいけない
どこの会社でも、あるいは広く会社一般でもそうであろうが、まともに相手にされない人というのがいる。なぜまともにされないかというと、他人に対する要求ばかり多くて、自分のほうは他人に対して何らの責任をも果たそうとしないからである
甘えが許されるということは、自分の側が何らの責任を果たさなくても要求は結構通るということである。そして周囲にいる人の外側の態度だけを見る限り、その甘えている人は周囲の人から頭を下げられるそれはそのように甘えた人間と変にかかわり合ってひねくれられたらたまらないからである。
甘えている人間は、自分が甘えていることに気づかず、相手を自分の自由にしようとするそして自分の周囲が自分の思うように動かないとすねたりひがんだりする。すねたりひがんだりという屈折した感情は、周囲の人間にとっては極めて対応しにくい敵意を持っているとか、好意を持っているとか、すっかりした感情であるならば、それなりに対応の仕方もあるが、すねたりひがんだりという屈折した感情は、相手に絡まっていく感情であるから対応しにくいのである

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